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”2020年以降のスポーツ界のために” SBAが目指すもの。vol.1

文:岡田 真理 構成:SPOZIUM編集部

今年10月に開校した、大学生・社会人のための超実践派スポーツビジネス講座「Sports Business Academy(SBA)」。今回は、その創設者の一人で、日本のスポーツ界でこれまで数々の改革を成し遂げてきた荒木重雄さんにお話を伺う。前編では、荒木さんがスポーツビジネスに転向したきっかけや、スポーツ界で話題となった千葉ロッテマリーンズの球団改革についてお聞きした。

Q1.荒木さんがスポーツ業界に入ったきっかけを教えてください。

大学卒業後IBMに就職して、10年ほどエンジニアとして働いていました。その後も外資系のコンピューター通信会社で日本法人の代表をしていましたから、本当にスポーツとは無縁の世界にいたんです。そんな時、プロ野球の再編問題が起こりました。ストライキがあったり、堀江貴文さんが出てきたり、近鉄とオリックスが合併したり…という、あの一連の出来事です。

私はもともと野球が大好きだったので、その様子を見て「どうしてこんなことが起こってしまうんだ」と真剣に考えました。今までは「見るスポーツ」と「するスポーツ」を楽しんできましたが、その出来事を機に「経営するスポーツ」、つまりスポーツビジネスに興味が湧いたのです。

いろいろネットで検索していくと、元電通でサッカーワールドカップの招致にも尽力された広瀬一郎さん主催のスポーツマネージメントスクール(SMS)の存在を発見しました。まずは勉強してみようと思って入学したのですが、そこで当時千葉ロッテマリーンズの社長をされていた濱本英輔さんと出会い、幸運にも「球団改革を一緒にやってみないか」と声を掛けていただきました。私はその時41歳で、スポーツビジネスは初心者。随分悩みましたが、球団改革には非常に興味があったので、そのチャンスを活かしてみようと決意しました。

Q2.実際にスポーツ業界に入ってみてどんなことを感じ、どんなことに着手しましたか。

ロッテに入った時のポジションは企画部部長でした。2005年の1月5日に入社したのですが、3月末の開幕戦でスタジアムを満員にするというのが私にとって最初のミッションでした。しかし、これまでいた世界とはあまりにも温度差があった。業務方式がアナログで非効率な部分も多かったし、人事体系も改善の余地があるように見えました。

まずテコ入れしたのは広報部のポジショニングです。プロ野球の広報は、通常はチーム側についている、いわばチーム広報。選手側についてメディア対応を行う、つまり“選手を守る”役割を担っています。ニュースは選手ネタのものが多いので、それは間違ったことではないのですが、それだと企画部が提案したことを広報が選手に遂行させることが難しい。プロ野球球団という最強のコンテンツホルダーでありながら、コンテンツである選手を思い通りに動かすことができないのです。

そこで、広報部を企画部で引き取って「企画広報部」とし、球団で行う企画ネタをメディアに発信していったのです。今までは“選手を守る広報”だったので、企画部が選手を使って何かをやりたくても広報部が渋ることが多かった。でも、企画部に入れてしまうことで“選手を使う広報”としての役割を発揮できるのです。これにより、選手を使ったファンサービスの実施が非常にスムーズになりましたし、企画がメディアに取り上げられることも増え、結果として観客動員の増加につなげることができました。

Q3.これまでいた業界とは温度差があったにも関わらず、球団改革を成功させることができた秘訣はなんですか。

もちろん、すべてが順調だったわけではありません。スポーツビジネスを知らない新参者だった私が、前からいた球団職員たちの心を動かすのは簡単なことではありませんでした。でも、結果的には開幕戦でスタジアムを満員にし、ミッションをクリアすることができました。そんな成功事例を、短期間に何度か繰り返すと、まわりの見方も変わってくるのです。改革するためには、「これをやる」と宣言して、可能な限り短期間で、それを実現する。それを繰り返すことによって、仲間をどんどん増やしていくことができました。

ちなみに、テコ入れしたのは社内だけではありません。「VOICE26」という、ファンが自由にネットでアクセスできる場を設けて、ファンがどんなことを考えているのか、やりたいのかにも耳を傾けました。そこには、いいヒントがたくさん隠れているんです。ファンのみなさんがやりたいことをやれば、それが「自分事」になる。「観戦」ではなくて、彼らも「参戦」している気持ちで試合を観に来てくれるんですね。

改革においていちばん背中を押してくれたのは、当時監督だったボビー・バレンタインの存在でした。彼はプレーヤー時代から「ファンファースト」の思いでずっとやってきた人。2004年の時点では、彼が提案したファンサービスのアイデアはほとんど実現できていませんでした。出会った日に同じ思いを共有して意気投合した私たちは、その後も強い信頼関係のもとで様々なファンサービスを実現することができたのです。ロッテの球団改革は、彼の存在があってこそだったと感じています。

文:岡田 真理 構成:SPOZIUM編集部