SPOZIUM(スポジウム)

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格闘技復活に込めた思いとその事業戦略(前編)

文:岡田真理

かつて“大晦日の風物詩”とも言われた格闘技が、5年ぶりに地上波で復活する。注目のイベント「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015さいたま3DAYS」を手掛けるのは、かつてPRIDEをプロデュースした榊原信行氏。今回はその榊原氏に、PRIDEやRIZINのビジネススキームについてお話を伺った。前編は、格闘技との出会いや、巨大イベントへ成長を遂げたPRIDEの戦略についてお聞きする。

Q1.榊原さんは、いつどのようにして格闘技というコンテンツに出会ったのでしょうか。

僕は大学卒業後に東海テレビ事業株式会社に就職しました。東海・中部地方の準キー局である東海テレビ放送の子会社で、テレビの中継に紐づくスポーツイベントやコンサートなどの事業を行う会社です。小さい頃からボーイスカウトの活動を通して様々な“お祭り”を創り出す経験をし、イベントを創造することが好きだったので、そういった事業を手掛ける仕事をしたいと思っていました。

しかし、実際に入ってみると社名を貸すだけの“名義主催”が多く、イベントを一から作る機会はなかなかありませんでした。若かったので、放送局の子会社であることにコンプレックスを感じることも正直ありましたね(笑)。今振り返ってみれば、フジテレビがディノスを立ち上げたり、ジャパネットたかたが有名になったりする前からテレビショッピングを手掛けるなど、ずいぶん先進的なこともやっていたんですけど、このまま何年もここにいるのは厳しいなと思い、辞めることも考えていました。

でも、どうせ辞めるなら何かを成し遂げてからと、自分から企画書を作ってイベントを提案してみたんです。その一つが、今でも続いている「美浜海遊祭」。このイベントに東京から来ていた関係者が「K-1っていう面白いイベントがあるよ」と声を掛けてくれました。格闘技には特に興味はなかったのですが、話題になっているなら観に行ってみようと東京の代々木体育館に足を運んだのです。それが僕と格闘技の最初の接点。1994年の春でした。

O2.その後、どのようにして仕事で格闘技に携わるようになったのでしょうか。

実際にK-1を見てみると、ファンでもないのに迫力やスピード感に圧倒されました。

当時のK-1は、チケットの売り上げがすべての収入源という事業スキームでした。でも僕は、それまでテレビ放送に紐づいた事業をずっとやってきたので、常にイベントを番組化することを考えて仕事をしてきた。そこで、「番組提供とセットでスポンサーシップを募れる。東海テレビで放送できないか」とK-1側に提案してみたのです。

リングマットやコーナーポストに社名を入れて売る際も、テレビ放送があれば価値はさらに高くなる。我々にとってもK-1にとってもプラスになります。会社の上司も「ローカル局の編成枠である深夜帯で、特番としてある程度の収益が見込めるならばアリ」と言ってくれた。コンテンツ力も十分ありましたが、やはり先立つものがクリアできたことがGOの決め手となりました。というわけで、実はK-1が地上波で放送されたのは東海テレビが最初だったのです。

それから97年まで年に1、2回はK-1名古屋大会を東海テレビ主催で実施し続けたのですが、その後K-1がフジテレビで全国放送されるようになると、それ以降K-1はフジテレビのコンテンツとして成長していくことになりました。

Q3.97年にはPRIDE立ち上げに携わりますが、それはどのような経緯だったのですか。

東海テレビ事業はあくまでイベント事業を行う会社であり、K-1だけの会社ではない。であれば、同じように魅力的なものをまた作ればいいわけです。ちょうどその頃、アントニオ猪木さん率いる新日本プロレスと、高田延彦さん率いるUWFインターナショナル(Uインター)が全面対抗戦をやっていて、ものすごくお客さんが入っていました。

新日本プロレスは全国に興行主がいたのですが、Uインターはそこまで広まっていなかった。それならば、K-1でのノウハウを活かしてUインターの名古屋興行を東海テレビ事業でできないかと思い、Uインター側へ提案したのです。そして96年6月に初めて大会を開催しました。これにより、私にとってプロレスとの新たな接点ができました。

Uインターの選手である桜庭和志の熱戦を見た夜、桜庭という選手との出会いもまた一つ大きな転機でもあったのですが、高田延彦さんに初めてお会いし、食事をすることになりました。そこで高田さんが「ヒクソン・グレイシーと戦いたい」と胸の内を僕に明かしたんです。偶然にも、その2週間後にヒクソンに会う機会があり、彼に話をしたら「興味がある」と。お互いの意志の確認がとれてしまったのです。でも、それに見合う舞台がない。僕は、なんとしても準備しなくてはならないと思いました。PRIDEというのは、実は二人の果し合いをするために生まれたイベントなのです。

Q4.PRIDEのブランディングやほかのコンテンツとの差別化などの戦略は。

引退をかけていた高田さんからは「地上波で流してくれ」との要望があった。しかし、当時は総合格闘技が市民権を得ていない時代。まずは会社に提案しましたが、「馬乗りになって顔を殴るような野蛮なものは地上波で流せない」と言われ、どこの局もみな同じリアクションでした。

ちょうどその頃、日本でパーフェクTV(現:スカパーJSAT)のサービスがスタートしました。アメリカでは、スポーツコンテンツ、特に格闘技においてPPVというインフラが非常にうまく活用され、大成功していました。パーフェクTV側はできたばかりで、何かコンテンツが欲しかった。そこで、優良コンテンツを作ってエンドユーザーから課金料をもらうスキームに方向転換することにしたのです。

K-1はいかに地上波での放映権を高く売るか、PRIDEはPPV環境をいかに普及させるか。しばらくしてPRIDEもフジテレビの地上波で放送するようになりますが、それはあくまでPPVで見る人を増やすためのプロモーションでした。これにより、コンセプトやビジネススキームなど様々な局面でK-1との差別化が生まれました。

PRIDE.1当時パーフェクTVに加入していたのは30万世帯程でしたが、そのうち3万人近くがPRIDEのPPVを購入してくれました。つまり、10人に1人はPRIDEを観た計算となります。PRIDEを見たくて加入したということになる。やはり格闘技というコンテンツは有料でライブ視聴したいという動機付けが強く働くとの見方が広がり、それがPRIDE発展の原動力になりました。

(後編へつづく※12月11日公開予定)

文:岡田真理