SPOZIUM(スポジウム)

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勝ち負けを越えたスポーツの価値を。川崎フロンターレが継続する復興支援活動(前編)

文:畔柳 理恵

J1リーグファーストステージは惜しくも優勝を逃してしまった川崎フロンターレ。その一方で、クラブとして初の挑戦となるプロジェクトが進行している。7月3日(日)に岩手県陸前高田市で開催される「高田スマイルフェス2016」だ。

東日本大震災後5年以上にわたって続いているフロンターレと陸前高田の関係について、川崎フロンターレプロモーション部長の天野春果氏に聞いた。

「支援はブームじゃない」

フロンターレと陸前高田を最初に結んだのは算数ドリルだった。震災直後、陸前高田市の小学校教諭から川崎市の教諭に「教材がない」という相談が持ち掛けられたことをきっかけに、フロンターレが川崎市内の小学生に配布している算数ドリルを陸前高田の小学生に提供。9月には、フロンターレの全選手が陸前高田市を訪れ、サッカー教室を開催した。

震災直後は多くのスポーツ選手や団体が東北に乗り込んだが、時間の経過とともに支援も報道も減少する。それに抗うかのように、フロンターレは「東日本大震災復興支援活動Mind-1ニッポンプロジェクト」を立ち上げ、「支援はブームじゃない」をキーワードに陸前高田と関わり続けた。毎年、サッカー教室を実施するとともに、「かわさき修学旅行」と銘打って陸前高田市民を川崎市に招き観光とサッカー観戦の機会を提供。また、現在も月に2回程度、川崎市内の駅前でクラブスタッフ、ボランティア、サポーターによる義援金募金活動を続けている。

この先例のない取り組みを行う際、カギとなったのは、コミュニケーションだという。フロンターレは、ファンや地域住民との関係を、単なる顧客ではなく一緒に盛り上げる仲間ととらえ、ファン・サポーターとコミュニケーションを取りながらクラブを作り上げてきた。その関係はトップチームの応援にとどまらず、復興支援活動もサポーターとともに推進している。そして川崎で積んだコミュニケーション、時には飲みニケーションの経験は陸前高田でも生き、市民と顔を合わせて名前を呼び合える関係を築くことができた。

サッカー教室
(c)川崎フロンターレ

4年目に生まれた、関係の変化

震災から4年目となる2014年、天野さんはフロンターレと陸前高田の関係を「支援をする―受けるという非対称の関係から、お互いが支え、励まし合って笑顔になれるような関係へと変えたい」と考えるようになった。信頼関係を築いてきた陸前高田の市民とも相談した上で、2014年末に、市長に対して合同イベントの開催を提案。それをきっかけに話が進み、2015年9月、クラブと自治体による異例の友好協定「高田フロンターレスマイルシップ」の締結に至った。そして、2016年7月に陸前高田市の上長部グラウンドでイベントを開催することが発表された。

このイベントの主催者は川崎フロンターレではなく、「高田スマイルフェス2016実行委員会」。陸前高田市、陸前高田サッカー協会、株式会社川崎フロンターレ、そして陸前高田市民有志によって設立されたフロンターレ応援団体「陸前高田フロンターレサポーターず」で構成されており、フロンターレからの一方的な支援ではなく「一緒に作る」ことを具現化したイベントとなっている。

天野さんは、プロサッカークラブが復興に関わる最大の意義を「クラブの発信力を生かして被災地の現状を知ってもらうこと」と考えている。一方で天野さんをはじめフロンターレのスタッフがたびたび陸前高田を訪れる中で見つけた宝の山が、物産だった。「現地の人は『陸前高田には昆布くらいしかない』っていうけど、外部の人間が見てみると本当にいいものがたくさんある」と惚れ込んだ海の幸や日本酒をホームゲームで販売することを思いついた。そして、2015年11月22日にホームゲームイベントとして「陸前高田ランド」を開催。陸前高田の事業者13社が出店し、カキ、ホタテ、日本酒などが1時間半でなくなったのをはじめ、多くの商品が完売し大盛況に終わった。2016年4月10日に開催された2回目には前回を大幅に上回る数の商品が用意されたが、こちらも軒並み完売。「陸前高田ランド」は人気のホームゲームイベントとして定着しつつある。

こうしてフロンターレと陸前高田は「支援をする-受ける」から「共に取り組む」「win-win」へと変容しながら関わり続けている。

陸前高田ランド
(c)川崎フロンターレ

文:畔柳 理恵