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理想的なスポーツスタジアムの作り方(前編)

文:新川 諒 構成:SPOZIUM編集部

新国立競技場建設問題をきっかけに日本において多くの関心がスタジアムに向けられています。今回はスポーツと建築、なかなか結びつきにくい2つの分野に関わるスポーツファシリティ研究所代表取締役上林功氏にお話を伺いました。建築家としてのスポーツへの関わり方、そして広島東洋カープが本拠地とするMazda Zoom-Zoom スタジアム広島の建設に関わった上林氏だからこそ伝えることの出来る新国立競技場案の問題点を指摘していただきました。

上林さんが建築に興味を持たれたきっかけは?

建築を目指し始めたのは、高校1年生の時、1995年の阪神大震災で被災をしたことが大きなきっかけになりました。復興していく建物と共に復興していく人々を見て、建物の力を感じたんです。新しい建物が出来たことによって、街の活力が戻り、人の気持ちが盛り上がっていくのを目の当たりにしたんですね。

私が住んでいた綺麗な街並みの神戸が仮設のバラックのようになってしまい、今後もこのような状態が続くのかと肩を落としていた時に、新しい綺麗な建物が建ち、そこで建築の力というのを肌で感じました。それから人の活動と建物に興味を持つようになったんです。

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スポーツファシリティ研究所代表取締役上林功氏

建築家として日本のスポーツ界に携わったきっかけは何だったのでしょうか?また具体的にどのようなプロジェクトに取り組まれてきたのですか?

大学で建築を学んで、こどもの成育環境を専門とする環境デザイン研究所会長の仙田満先生に弟子入りしました。そこで仙田先生に、「君は体格もいいし、体力もありそうだからスポーツ施設を担当してほしい」と言われたのがきっかけでした。

辰巳国際水泳場や但馬ドームなどを手掛けていた仙田先生は子供の身体活動と成育環境を専門に研究しており、それらの知見を活かしたスポーツ施設の提案を得意とされていました。今振り返ると、実務に携わる最初の段階で、建築とスポーツについて専門的に学べたのは非常にラッキーだったと思います。

私が1番最初に担当したのは2006年兵庫県で開催された、のじぎく国体で使用した競泳会場“尼崎スポーツの森”でした。この公共施設は兵庫県のPPP(官民連携)事業によるスポーツ施設で、民間が建設・運営することで、民間活力を上手く利用する兵庫県内初のPFI方式で作られました。25mプール、50mプールの競泳用施設だけではなく、レジャープール、トレーニング施設、フィットネススタジオ、フットサルコート、巨大遊具のこども広場、冬季にはアイススケートリンク利用などを取り入れることによって子供から大人まで楽しめる施設を目指しました。

その結果、開場以降来場者数は低下することなく、毎年右肩上がりとなっています。当初は年間30万人強だったのが、今は約40万人の人が足を運ぶ施設となりましたね。

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2006年のじぎく国体で使用した競泳会場“尼崎スポーツの森”

常に集客や施設の利益を考慮した上で構成されるのでしょうか?

実は多くの建築設計において、来場者数や収益ということに対して建築と絡めて話をするのは一般的ではないんですよ。おおむね建築は美しさで評価されていて、空間の素晴らしさで語るものであると思われています。

その一方で、スポーツ施設にとって収益性は重要で、公共施設の真逆のものと考えられている所がありますよね。収益を生まなくても、市民社会により支えられ公共の福祉に供する静謐な空間が理想的な公共施設のあり方と思われていたりするのですが、公共施設も財政的に自立した施設でないといずれは行政のお荷物になってしまうでしょう。

そこで師匠である仙田先生は、公共施設のライフサイクルコストのKPI(重要業績評価指標)として、公共施設のイニシャル・ランニングコストを施設利用者数で割ることで公共福祉にかかる受益者1人当たりに投じられた公共コストを算出し評価すべきだと主張しました。

利用者をふやし受益者を生み出す施設を計画できれば、1人あたりに投じられた公共コストを少なく、より多くの人にベネフィットを与える公共投資の効果の最大化をはかることができるとの考えだったんです。

その後、MAZDAスタジアムの設計に携わられたとのことですが、その経緯などを教えてください。

2006年後半に旧広島市民球場に代わる新スタジアムの設計コンペにチームの一員として参加しました。元をたどると2002年頃、広島市民球場は海外の運営会社と建設チームの共同企業体で新スタジアムを企画していたのですが、不景気の影響で計画は頓挫してしまいます。

2004年のプロ野球再編問題を経て、球団をもっと大切にしようとの気運が高まる中、ドームにすることで旧市民球場を多目的に活用しようという議論も行われていたのですが、法的な問題や膨大なコストのため議論が停滞してしまいます。

そんな中、2005年に広島市が所有している旧国鉄払い下げの操車場(電車の待機場)の土地を敷地として新球場建設を進める方針が固められました。2006年3月、広島市主催による事業コンペが開催され、新スタジアム建設に向けて設計者と建設業者がチームを組んで行うコンペが開催されました。

ところが事業コンペの最優秀案は、事業性の不安などを理由に撤回されてしまうんです。その結果、2006年9月、再度ゼロからの、設計者のみの国際コンペを行うことになりました。

このコンペでは、新スタジアムは広島で開催が検討されていた2009年のオールスターゲームに間に合うように建設プランを立てる必要があったんです。イベントによって期限が決められているなかゼロベースからのコンペという状況は今の新国立の出直しコンペとよく似た状況だったかと思います。最終4案から、私が所属していた環境デザイン研究所の提案が採用となりました。

(後編に続く)

 

文:新川 諒 構成:SPOZIUM編集部